加藤さんの工房は、仙台市郊外愛子の丘陵に開けた住宅団地の一角にある。丘の上の街へと向かう長い坂を車で登っていく途中、巨大な仏像が市街を眺め渡すように鎮座していた。日が沈みかける中、大きな黒い影が迫ってくるような不気味な気配を感じつつその脇を急いで走り抜けると、間もなく加藤さんの窯でもありご自宅でもある住宅団地に着いた。
加藤さんが陶芸の道に入ったきっかけは、お父さんの仕事との関わりが大きい。加藤さんのお父さんは、仙台駅前の「丸光デパート」の外商から脱サラして、向かい側にあった「仙台ホテル」の地下で主に京都の窯元からの直扱いの器を売るお店を開いていた。(両方とも仙台を代表する老舗のデパートとホテルであったが今や存在しないことにいささかの感慨を覚える。)折しもバブルの時代だったから、そこでは高級割烹に出すような高いクオリティーとそれに見合った値段がつけられた食器がよく売れた。この父の仕事場によく出入りしていたから、そうした器は自然に親しいものとなり、やがて陶芸の道を選ばせ、彼の後年の作風を生み出す原体験ともなっていったのだろう。仙台の向山高校を卒業して、京都の職業訓練校へと進み、陶芸の基礎訓練を受けた後は、土ものの器を作っていた京焼の窯「嘉豊陶苑」へ陶工として勤めた。11年間に及ぶ修行時代が終わり仙台に戻り現在の地に窯を構えたのは2003年のことだった。
加藤さんと言えば、今や結晶釉の作品で有名だが、最初は薄手の焼締の器を焼いていた。結晶釉の作品は、10年前に「さくら野」デパート(丸光の二代後)で個展を開いたときが最初のお披露目であった。東北らしい新しい器をとの思いが、堤焼の海鼠釉に新しい雰囲気を付け加えた結晶釉へと導き、確かな技術に加えて彼の繊細な感覚を花開かせるところとなった。窯の炎が釉薬と反応して作り出す情景が思い思いの自由な想像力を刺戟する楽しさもある。地元らしさといえば、宮城県の雄勝硯の粉を用いて青磁っぽい感じを出していることも付け加えておこう。
現在はお茶の器や酒の器に主な需要があるが、コンクール展にも積極的に応募し、2012年には 河北工芸展で宮城県知事賞を受賞している。ちょうど伺ったときにも、良く整えられた工房の片隅には現代工芸展へ出品するためのつくりかけの作品がひっそりと置かれていた。