東北の焼物について、デヴィッド&アン、ヘール夫妻のコレクションを基にして、震災後英国のルシン・クラフトセンター(ギャラリー3)で開催された展示会のカタログを、ヘール夫妻と親交のあった堤焼さんから借り受けた。先に東北滞在の置き土産としてデビッド・ヘール氏が日本語で上梓した「とうほくの焼物」(昭和47年、雄山閣)には書かれてない窯場とのプライベートな交流や懐かしい工人の暮らしぶり、美しいコレクションの鮮明なカラー写真が載せられた貴重な資料だと思う。英国人の東北陶器への熱い思いを伝えることで、うたかたの東京トレンドに相変わらず夢中で、身近な地元にある東北のいのちとも言えるユニークな価値に無関心であるわたしたちの不明をはじるとともに、震災後いっそうの衰退に見舞われている東北の窯場を再活性化するためにささやかであれ役立ってばと思い拙い翻訳を試みることにした。「とうほく陶芸家展」開催を一つの目標点にどこまでできるか分からないが続けていきたいと思っている。

大堀焼徳利
 




























大堀相馬焼徳利(19th C)






ジェーン・ウィルキンソンは、1990年、ダラム市(イングランド北東部)にあるラフカディオ・ハーンセンターでデヴィッド&アン、ヘール夫妻と初めて出会った。そこには数点の東北の壺が展示されていた。ジェーンの脇にあったそれらの美しいかたちの壺は、ぼてっとした暗黒色の釉薬をベースに斑点上にかけらた碧色の釉薬がことさら印象的だった。20年後、ルシン・クラフトセンターでの日本陶器の展示会を企画する機会が舞い込んだときにも、そのときの鮮明で圧倒的な印象が残っていた。今こそ、これらのあまり知られていない陶器をより多くの人々に知ってもらうべきときが来たと思う。
デヴィッド&アン、ヘール夫妻は、1966年に日本を訪れ72年まで滞在した。仙台をベースにデヴィッドは東北大学で英文学を教えていたが、彼の関心は東北の陶器の歴史と技術についての広範な調査結果を日本語で初めて出版することに向けられていた。
わたしたちはしばし彼が語るにまかせて、東北を回る旅に彼を巻き込み、終わりのない茶飲み話と幾つかの異なった方言と沢山の疑問との格闘をしいたところの、探求と情熱の物語に耳を傾けることになる。この類例のない本は、残念なことには英語では未だ出版されていない。
2011年3月11日、地震と津波が東北地方を襲ったとき、わたしが最初に思ったのは日本にいる友人や仲間、そして東日本で奪い去られた多くの命と暮らしだった。わたしが上記の展覧会で何をなすべきかと考え始めたのは大分あとのことだった。しかし、展示会で取り上げられる幾つかの窯場は廃墟となり、そして12代続いた福島の大堀相馬焼の窯場は今は閉鎖されていた。わたしたちはそのときに沢山の言葉で有意義な助言と励ましを与えてくださった日本の方々と日本に心から感謝したい。それらの人々との間で一致を見たのは、それらの器をとにかくウェールズに持ってきて、それらの温もりのある、そして生命感にあふれた姿を展示するということであった。
この目的を実現するために協力してくださった、ウェールズアーツカウンシル、英国カウンシル、大和日英基金、英国笹川財団、日本大使館、 日本国際交流基金に感謝したい。
わたしはまた「日本スタイルー受け継がれているデザインー」のプロジェクトディレクター、マイケル・ニクソンにも感謝したい。彼はヘールコレクションをそのプロジェクトの重要な部分として位置付けてくれた。わたしたちはこの展示会の企画とこの本の出版、そしてヘールコレクションをより多くの人々に知らしめてくださったジェーン・ウィルキンソンの知識と寛大さに対してとりわけ感謝したい。この展示会はデヴィッドとアンのこのユニークなコレクションを可能ならしめた先見性と情熱なくしては成り立たなかったことだろう。

わたしたちの思いは東北の地ですばらしい器を作り続けてきた陶芸家たちとともにある。幾世代にもわたって東北に住み続けてきた家族たちに、手づくりの美しさとともに生きる喜びがこれからも与えれんことを!

         フィリプ・ヒューズ (ルシン・クラフトセンター ディレクター)