とうほく陶芸家展 in せんだい 第6回 2019 5/24~26  Tohoku Potters Exhibition in Sendai

新緑が輝く八幡の森に、江戸時代からの伝統と技術を受け継ぐ、あるいは自ら窯を開き作陶を続けてきた東北の陶工たちが集います。     Tohoku potters gather in the sparkling fresh verdure of Hachiman no Mori.

2018年04月

柴田町の中心から程遠くない山林をうねる農道を車を駆って、それら丘陵の谷筋にある黒本氏の窯に赴く。これで何度目だろう。大震災後、個人窯では宮城県最大と言われた巨大な穴窯が倒壊した跡を見に行ったのが最初だっただろうか。もう7年前のことで随分昔の話になってしまった。黒本さんは最初は小さな窯でかろうじて窯炊を継続し、3分の1と随分小ぶりになったが1年あまりで見事に現在の窯をたちあげた。しかし、やっかいなことはそれだけではなかった。それまでは近隣で採取していた粘土と赤松が、震災の副産物の原発事故による放射能汚染で使えなくなったのだ。震災直後に行った時には赤松は、輸送費が高上がりになるのを承知で秋田から取り寄せてるというようなことを聞いた覚えがあった。
現在、土は半分以上は、東北在住の外国人陶芸家の先駆者ブルーノ・ピープルさんが在住する山形の大石田から取り寄せている。赤松の仕入先は、丸森の会社(震災前までは蒔窯を使う宮城の多くの陶芸家がここから取り寄せていたが、震災後倒産した)から七ヶ宿の会社に変えた。この会社は前の会社と違って陶芸家用の蒔を専売しているのではないので、供給された原木の半分が腐っていて、風呂やストーブ用にしかならなかったときもあった。こうした質の悪い蒔だと温度も上がりにくい。
黒本氏は、若いころ地元の工業高校を出て備前焼の作家の元で修行したということもあって、本格備前風の作品を東北でつくる数少ない作家だ。作風には真面目で堅実な性格が表れて、いずれも狂いのないかたちといい、しっかりと焼き締まったつくりといい、安心して使えるものとなっている。備前焼は、金重陶陽の備前復興以前は、手の込んだ飾り物の伝統もあった。彼の器には日用の器以外にも香炉などそうした古風な伝統を思わせる作品がある。このことと多少は関係があるだろうか。彼の曽祖父は旧制金沢高校の漢学の教授であった。見事な髭を蓄えた老学者の写真が彼の工房に掲げられていた記憶がある。
60歳以上の陶芸家が多い中で彼は若手の部類に入る。震災後、良き伴侶を得たが、静かな情熱を秘めた彼が作家として成熟を遂げるのをこれからも楽しみに見ていたい。

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カメラを忘れていったためスマホで急場をしのいだ。不鮮明な写真でご容赦。

2018黒本3

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ちょうど窯炊に入ったばかり。まだ火はちろちろの段階。火力の調整に余念がない。

雅堂窯

 
窯の様子など鮮明な写真は黒本氏のブログをごらんください。
http://blog.gadogama.net























































オペさんの窯の名「雷窯」は、近くにある神社の来歴と関係がある。折石(さくせき)神社というのがその名だが、大樹に囲まれたこんもりとした丘陵があって、お狐さんの石像を両脇に配した鳥居と社に通じる石段が設けられているのが県道からも見える。オペさんの話だが、社には雷に打たれて割れた大石がご神体として祀られているという。幻妖な趣きの大きなお狐さんといい、鈍感な私にも強い霊気が感じられる。勝手な想像だが、古代ケルトの石の文化と近似するものを感じて、オペさんはこのパワースポットを選んだのだろうか?それについては今度会うときに聞いてみることにしよう。
オペさんの窯はこの神社と県道を挟んで向かい側の丘を分け入ったところにある。以前来訪したときの記憶をたどって走ったが、結局行き着けず、折石神社の前まで迎えに来てもらった。彼の工房は立木に埋もれるように建っていた。古代然とした環境と山里の隠れ家のようなこの小さな家で、英国ポップな作品が作られているとは誰も思うまい。
オペブランドは、カラフルなレインボーカラーの釉がけで知られる。雷雨のあとにかかる虹は、工房の場所とも結びつく。オペさんの器には、雨雲が去り光が差して虹がかかるときの晴れやかさが感じられる。しかし、よくある衣裳に走って使いにくい器ではない。とりわけ紅茶茶碗には、英国と日本の用の器の伝統が絶妙に融合されていて、我が家では常用品となっている。
ロンドンの中心部から少しはずれた静かな住宅街に生まれ、大学をドロップアウトして、アルバイトでためた資金を元に世界に飛び出した。様々な仕事をしながら、米国を縦断し、ハワイ、フィリピンを経て、少年時代の焼物修行で中国系の先生から教えられた焼物の本場、日本に行き着いた。それから相馬焼に弟子入りするまでの詳しい経緯は、最近出た雑誌「りらく」を見て欲しい。オペさんにとって極東日本は、思うがまま轆轤を引くための「虹の端」だったのだ。
オペさんはコンクールにも意欲的に挑戦し賞をとっている。訪れたときも4月の半ばから始まる日本現代美術工芸展 に出品するという作品が置いてあった。口を半ば開いた貝のような形状の作品は、外に雲がたなびき、内側にはやはりあのレインボーが描かれていた。
帰り際、鴨居の上にデビット・ボウイのな70年代の傑作「アラジン・セイン」のアルバム表紙が飾られているのが目に入った。虹色のブラシを顔に施したボウイの写真とオペさんとのつながりについても、今度の展示会で聞いて見ることにしよう。

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柴田町葉坂、折石神社












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ライトを照らすと虹の上に光の斑紋が映り込んで幻想的な趣となる。 








折石神社については以下に詳しい。
https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a15755737e4ad77daf01349d7be361bf 

陶芸家の工藤氏には藤沢町で毎年8月に開催されている「藤沢野焼祭」で何度かお会いしていたが、なかなかお話しをする機会がなかった。「藤沢野焼祭」は、1976年、同町の陶芸家本間伸一氏の発案によって始められたものだが、工藤氏はその1年前に本間氏の一番弟子となって焼締陶器の世界に入った。一人で最初から最後まで関われる手仕事に関わりたいとの思いを抱いていた彼に、陶芸はまさに打ってつけの仕事であった。
工藤氏の窯は、美しい花山湖を眼下に望む高台の地に設けられている。私が赴いたときは3月の半ばであったが、例年になく暖かい日が続いたせいか、道路から雪はすっかり消えて、湖には澄んだ雪解け水が満々と湛えられていた。この湖と対面するかのように傾斜面に本間氏と同型の穴窯が鎮座している。1300度近くまで温度を上げて猛り狂う炎とそれを鎮めるかのように静かに佇む湖。その対称の妙を今度は見に来たいと思った。
窯は今年は1月、4月、9月の3回焚くという。窯の両脇には秋田から原木で取り寄せた赤松の薪が積み重ねられている。土は山形県の大石田から運ぶ。花山の近隣は栗駒山系の火山層が分厚く覆っているので陶芸に使える粘土がとれないという。かって湯の倉で地層が深く露出したところを見つけ、採取を試みたことがあったが、2008年の岩手・宮城内陸地震により採取が困難となった。
新しく取り組んでいるのは磁器土を使った焼締。 薬をかけたものも試みている。焼締の醍醐味である自然釉や窯変を生かした工藤さんの作風に新たな魅力が加わるのが楽しみだ。
奥様のお話では、近年は花山も国際化の波と無縁ではなくて、オーストラリアやスウェーデン、アイルランド、インドネシアなど多様な国々の人々がこの風光と陶芸家の生活に魅せられて訪れる。おみやげに工藤氏のどっしりとして力強く、素朴な趣のある土瓶を買って、ほうじ茶を愛飲している外国人もいるという話は、自分のことのようになんだかうれしい。
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対岸の丘に座主窯がある。















様々な作品が並ぶギャラリー 















本物の蛇かと思ったら、
常連の野猿除けのフェークだった。 







 
これから今年2度目の窯焚きに入る。穴窯をバックに作家と作品。
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東北の焼物について、デヴィッド&アン、ヘール夫妻のコレクションを基にして、震災後英国のルシン・クラフトセンター(ギャラリー3)で開催された展示会のカタログを、ヘール夫妻と親交のあった堤焼さんから借り受けた。先に東北滞在の置き土産としてデビッド・ヘール氏が日本語で上梓した「とうほくの焼物」(昭和47年、雄山閣)には書かれてない窯場とのプライベートな交流や懐かしい工人の暮らしぶり、美しいコレクションの鮮明なカラー写真が載せられた貴重な資料だと思う。英国人の東北陶器への熱い思いを伝えることで、うたかたの東京トレンドに相変わらず夢中で、身近な地元にある東北のいのちとも言えるユニークな価値に無関心であるわたしたちの不明をはじるとともに、震災後いっそうの衰退に見舞われている東北の窯場を再活性化するためにささやかであれ役立ってばと思い拙い翻訳を試みることにした。「とうほく陶芸家展」開催を一つの目標点にどこまでできるか分からないが続けていきたいと思っている。

大堀焼徳利
 




























大堀相馬焼徳利(19th C)






ジェーン・ウィルキンソンは、1990年、ダラム市(イングランド北東部)にあるラフカディオ・ハーンセンターでデヴィッド&アン、ヘール夫妻と初めて出会った。そこには数点の東北の壺が展示されていた。ジェーンの脇にあったそれらの美しいかたちの壺は、ぼてっとした暗黒色の釉薬をベースに斑点上にかけらた碧色の釉薬がことさら印象的だった。20年後、ルシン・クラフトセンターでの日本陶器の展示会を企画する機会が舞い込んだときにも、そのときの鮮明で圧倒的な印象が残っていた。今こそ、これらのあまり知られていない陶器をより多くの人々に知ってもらうべきときが来たと思う。
デヴィッド&アン、ヘール夫妻は、1966年に日本を訪れ72年まで滞在した。仙台をベースにデヴィッドは東北大学で英文学を教えていたが、彼の関心は東北の陶器の歴史と技術についての広範な調査結果を日本語で初めて出版することに向けられていた。
わたしたちはしばし彼が語るにまかせて、東北を回る旅に彼を巻き込み、終わりのない茶飲み話と幾つかの異なった方言と沢山の疑問との格闘をしいたところの、探求と情熱の物語に耳を傾けることになる。この類例のない本は、残念なことには英語では未だ出版されていない。
2011年3月11日、地震と津波が東北地方を襲ったとき、わたしが最初に思ったのは日本にいる友人や仲間、そして東日本で奪い去られた多くの命と暮らしだった。わたしが上記の展覧会で何をなすべきかと考え始めたのは大分あとのことだった。しかし、展示会で取り上げられる幾つかの窯場は廃墟となり、そして12代続いた福島の大堀相馬焼の窯場は今は閉鎖されていた。わたしたちはそのときに沢山の言葉で有意義な助言と励ましを与えてくださった日本の方々と日本に心から感謝したい。それらの人々との間で一致を見たのは、それらの器をとにかくウェールズに持ってきて、それらの温もりのある、そして生命感にあふれた姿を展示するということであった。
この目的を実現するために協力してくださった、ウェールズアーツカウンシル、英国カウンシル、大和日英基金、英国笹川財団、日本大使館、 日本国際交流基金に感謝したい。
わたしはまた「日本スタイルー受け継がれているデザインー」のプロジェクトディレクター、マイケル・ニクソンにも感謝したい。彼はヘールコレクションをそのプロジェクトの重要な部分として位置付けてくれた。わたしたちはこの展示会の企画とこの本の出版、そしてヘールコレクションをより多くの人々に知らしめてくださったジェーン・ウィルキンソンの知識と寛大さに対してとりわけ感謝したい。この展示会はデヴィッドとアンのこのユニークなコレクションを可能ならしめた先見性と情熱なくしては成り立たなかったことだろう。

わたしたちの思いは東北の地ですばらしい器を作り続けてきた陶芸家たちとともにある。幾世代にもわたって東北に住み続けてきた家族たちに、手づくりの美しさとともに生きる喜びがこれからも与えれんことを!

         フィリプ・ヒューズ (ルシン・クラフトセンター ディレクター) 





 

5月25日、26日、27日(金・土・日)の3日間、第5回目の「とうほく陶芸家展inせんだい」を開催します。場所は、これまで同様、八幡町の街並みを過ぎて旧48号線を5分程走ったところにある八幡研修センター(旧文理ランドスケープ園芸専門学校)。広瀬川を挟んで目の前の対岸には青葉の森緑地が広がり、会場となる研修センターの背後にもカモシカの営巣地がある緑濃い丘陵が続きます。一言で言えば仙台中心市街地とは思えない杜の都の昔を偲ばせる緑の別天地です。5月のこの時期は晴れ間も多く、一年でもっとも気持ちの良い爽やかな季節。自然の申し子である東北の陶芸に親しむのには絶好の環境、季節です。風土に育まれた東北の陶芸に見て、触れて、ユニークな個性の19人の作家との会話を楽しみ、お気に入りと出会うチャンスです。入場は無料。ぜひお誘い併せのうえご来場ください。

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